不可能など言い訳だろ

受験生オタクのひとりごと

私が向井康二くんに落ちるまでの話

まあ完全深夜ノリで書いてます。

最近はてブ流行っててみんなの読んで感動したし、自分のことも知って欲しいな~なんて思ったりしたのでこのノリのまま手を止めずゆきます。

 

私は小学1年生の時(たぶん)ごくせんの赤西くんに落ちました。それはそれは綺麗にスットンと。

まあこれには理由があって、1番家が近くて仲が良かった子が亀梨くんが好きだったんです。その子の部屋には、雑誌に付いてるポスターとかお祭りの的屋でもらえるようなポスターが山ほど貼ってあって………

6歳の私には衝撃でしたね。初めてオタクというものの存在を知りました。

 

赤西担というか、なんというか、ただただ『キャーー!赤西くんかっこいいーー!』のレベルの茶の間で楽しむ超そこら辺にいるミーハーでした。

 

時を経て小学校4年生頃。私の席の周りがほぼ嵐担でした。それはそれはもう毎日嵐の話しかしないような子達でした。

その頃の私はとっくに赤西くんの熱も冷め、ただただ習い事のそろばんが嫌で仕方なかったような子でした(伝われ)

お母さんに『私もみんなみたいに趣味が欲しいねん~。』って相談してたみたいです。なんてピュアなの昔の私。

何がきっかけか分かりませんが、知らずのうちにコロッと櫻井翔という人間に落ちていました。落ちたらまた早いのが私の悪い癖で、すぐに過去の番組を漁り、DVDやCDを買い占め、周りの席の子達の何倍もの嵐知識をいつの間にか得ていました。引かれました。

 

まあでも開き直って櫻井担を何年かなあ…5年ほどは続けてましたね。全然コンサート行ってないんですけどね。(というか櫻井担になった年の自分の誕生日にFC入会した(ピュア)のに、コンサートの応募方法を知らず毎回諦めてました。調べるという概念がその時だけ消えていたのかもしれない)

 

あれよあれよと歳をとり、中学3年生の夏。この夏にジャニーズWESTさんの『台風n Dreamer』を見に行こうよ!と友達に誘ってもらい、初ジャニーズ初松竹座として、足を運びました。

とりあえず7人の名前と顔を覚えてから行きました。うん。たぶん。

有難いことに花道横の席に入らせてもらい、初ジャニーズのくせにあの異様な近さを実感しました。松竹座コワイ。

そしてその日、小瀧望くんに落ちます。またこれもコロッと。

帰宅後お母さんに『なー!ほんま顔かっこいいねん!初めて見たあんな人!!!』と熱弁してたのを覚えてます。オカンごめんな。暖かい目で見守ってくれてありがとう。

 

そしてお得意の落ちたらすぐ調べたがる癖が出ます。中学3年生ですよ?受験生ですよ?(そんなん関係ないんですよ!CV:大西流星)アホみたいに毎日パソコンとにらめっこしてました。私、androidだったんで。(よく分からん)

 

秋頃にはもう小瀧垢を作り、関西担としてオタクを始めました。この時に繋がってくれた方も何人かまだ繋がってくれてます。日々是感謝。

 

こうして思い出しながら書くと、自分でも随分前からジャニオタ気質やったなあ~~って思います。オタクたのしいですよねほんと。

 

てことで今日はとりあえずここまで。

向井康二くんに落ちるまでの私の担当歴をサクッと(?)記してみました。

拙い(終始深夜ノリ)な文章でしたが、読んでくださった方ありがとうございました!

 

(突然終わってなんやねんとか言わない!そこ!)